friends will be friends
近頃ワールドカップやヨンハさんの死去に絡んで篤い友情のエピソードがあって
こういうのは時代も国にも関わらず不変のものと大変嬉しくもあり、感動させてもらっています
ニーチェも著書の中で友について色々書いた挙句
「友情こそあって欲しいものだ」とまとめている
また曰く
「友はしばしばコルクの浮きである、それは私が深みに沈むのを妨げる」とも
(20年前の記憶なので細かいところは曖昧ですが)
せっかく良い友人がいたならば「深み」にはまらずに済んだかと思うのに、残念である
私もまた、家族と友情を最も大切にして生きたいと願う
本当の友人とは、普段疎遠でも困った時には必ず助けてくれる者だと思う
例えばつい最近も友人が病気になったのは記事にある通りだが、その時に
一時間だけでもと多忙な中見舞いに行く者もあれば
結局顔も出さない者もある
人の別れはいつ来るか判らないという事を気付かせてくれているにも関わらず
また今度、また明日でいいとでも思うのだろうか
いつだって後悔する時は遅すぎる時だ
若い頃いつもお腹を空かせていたのでとある友人の母の家に行っては
(その友人はいないのだが)時々ごはんを食べさせてもらっていた
その家のおばあさんとも良くお話をした
やがて三十路に入り仕事が忙しくなり、何年も顔を出せないようになり
おばあさんが亡くなった
仕事を一時間抜け出してお通夜で線香をあげ、おばあさんが私に会いたがっていたと聞いた
その時の後悔は今でも忘れない
その頃それほどに仕事を頑張ったお陰で今があるのだが、それでもやはり
大事な人にも会えない仕事なんて間違ってると思ったものだ
先日の休み、まだ元気な友人の母に会いに、そしておばあさんに会いに行った
線香をあげて会いに来たよと話しかける
あばあさんは、変わらぬ微笑で喜んでいた
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後悔が重く響いたことを忘れられません。
最後に会った時、またね!と手を振ってわかれた笑顔。
いつでも会えると、空を見上げては「元気」かな?と思ってましたが、次に再会した顔は、何も返事してくれない安らかな顔でした。
人とは出会いと別れがあり、突然、会えなくなるという現実を改めて感じます。
スミマセン。。。
思わずコメントしてしまいました。。。
心に留めていたことでした。
コメントをありがとうございます
生きていると、色んなもの、背負ってしまいますね
その人のことを忘れず、一瞬一瞬を大切に
生きていかれる事を願います